はてなブログを開設した経緯

はじめに

大学生活も折り返し地点をとうに過ぎ、何故か無性にはてなブログを始めたくなりました。始めてからなんでこのタイミングで誰にも読まれないようなブログをわざわざ書き始めたのだろうとよく考えてみました。結論からいうとぶっちゃけ特に理由はない、というのが正直なところですが、それだともうこの記事は終わってしまうのでなんとなくこういう理由で始めたのだろうな、と今朝用を足しながら思ったことをつらつらと記していこうと思います。

書くことを好きになって上手になりたい

ぼくは書くことが苦手です。少なくとも人に何かを伝えることがものすごく苦手です。おまけに別に文章を書くことは好きではありません。つまりぼくは書くことが苦手で嫌いです。なのにぼくは文章をつらつら書くだけのブログを始めました。これは一見するとクレイジーです。数学ができないし嫌いなど文系が理学部の数学科に入るくらいクレイジーだと思います。ただ、ぼくはどうしても数学がやりたい、微分とか積分とか自在にできるようになりたい。なんならテイラー展開やら相対性理論やらも理解して福山雅治さんみたいに黒板に数式を無限に書き連ねたい。そう、ぼくは数学者になりたいのです。何を言いたいかと言いますと文章を書くことに対する苦手意識と嫌い意識を克服したいと思っているということです。何故書くことを好きで得意になりたいかというと、文豪という響きに憧れたからです。もちろんこの歳になって書くことが苦手なぼくみたいなやつが文豪と呼ばれる日がないことはわかっています。皆まで言うな。それでも今より文章を書くことが上手になってかつ好きになれば、自己満足的に自分のことを平成最後の文豪と呼んであげられるようになるのではないかと思っています。今は到底文豪と自分を呼べるような腕はありません。いつの日か知人や誰かも知らない赤の他人に「シュラッターの文章面白いね」と言ってもらえるような日が来ればその日がぼくが文豪になる日です。そんな日を夢見て今日も苦手で嫌いなゴーヤを食べます。

文章を通して人をクスッとさせたい

オスという性で生まれたからには異性に魅力的に思われたいと考えるのはごく自然なことです。身長の高さ、年収の高さ、顔の良さ、学歴の高さ、運動神経の良さ、優しさ、1人のオスを構成する要素を総合してその人のスペックと呼ばれるものが決まります。これは受容する側の異性によってどの要素を重視するかは変わってきます。残念ながらシュラッターというオスは先ほど挙げた要素のうち誇れる要素はありません。遺伝子による要素も多々あり、なかなか先天的なものは変えるのは難しいです。決して親をdisっている訳ではありません。親、鬼感謝、アーメン。それでもなんとか勝ち筋を見出したいと思ったぼくは面白さ軸があるということを知りました。小さい頃から自分の言動で他の人が笑うことにエクスタシーを感じてきたぼくは面白さを磨いていけば自分なりに社会に対して価値を提供できるのではないか、そう思った日にお笑い芸人を目指しました。高校生のときです。このときぼくは芸人という夢に向けての第一歩として学校の新歓イベントで漫才をやりました。もちろん台本は自分で考えて当時の相方と練習しました。これがなんと大ウケ。気持ちいいーーー、と感じたぼくは間違いなくこの道だ、と確信し、学校のイベントがあるごとに漫才を披露するようになりました。しかし現実はそう甘くなく、お笑い芸人になる夢は諦めざるを得ませんでした。理由はただひとつ、リアクション芸がびっくりするくらいできませんでした。これに関してはもう頑張れとかそういう次元ではありません。たった1文字、「無理」という言葉で言い表せます。そこでリアクションを取らずに人を笑わせることができないものかと考えたときに文章に行き着いた訳です。ここまで行き着くのに本当に長かった、ヴァスコ・ダ・ガマの気持ちが痛いほどわかるくらいに。そうして今現在、不特定多数の異性をクスッとさせるためにブログを書いています。男性は今すぐ回れ右してください、よろしくお願いします。

言論の自由を最大限に生かしたい

普段みなさんは自由に喋っていますか?忖度する毎日を過ごしてはいませんか?ぼくは忖度が人生の9割を占めています。残り1割はうんこをしたいという気持ちで埋まっています。言論の自由が保障されているという素晴らしい憲法が日本にはあるのに現実ではそれがほとんど実現できていないことに激しい違和感を感じています。お前の問題だろうがと思うかもしれませんが、その通りです。なので、せめて誰に咎められようがお構いなしに自分が日頃現実世界で言いたいことをネットという仮想空間でぶちまけてやろうじゃないかと思った次第です。ですので、ぼくはこのブログでは誰にも届かない小さな声でピーピー好き勝手に言わせてもらう予定です。ふんどし履きたい、とか女性って素晴らしい生き物だ、とかワキガの人はまわりが気づかせてあげて治してあげろ、とかそういう記事をこれから書いていきたいと思っています。言論の自由に守られながら、ピーピーと小言を発して気持ちよくなりたいです。

思いのままにサイトを作りたい

何かの専門性を追求すると一般人の見方がわからなくなり、正しく専門性を追求できているかわからなくなる、というジレンマがあります。例えば広告マンであればCMを見るときには制作側の視点で自然と見る癖がついてしまい、普通の生活者としての視点を見失いがちです。あるいはエンジニアであればどんなサービスもソースコードを見たがり、サービスそのものの魅力を1生活者の視点から見ることはほぼ不可能になる訳です。この現象をぼくは勝手に1人エッチのジレンマと呼びます。以前ぼくは長期インターンでウェブマーケティングを学び、マーケティングに以後も関わるような生活を送ってきました。この生活を続けると、やりたいことではなく、求められていることから行動をする癖がついてしまいます。これはイケないことです。初めて鬼ごっこ、あるいはドッジボールをしたときはあまりにも楽しすぎて日が沈んでも気づかなかったという経験は誰にでもあるかと思います。鬼ごっこやドッジボールを突き詰めていくといつしか戦略や作戦を追求するようになり、勝つことに固執するようになります。まさにこの状態が1人エッチのジレンマです。そこには純粋な楽しさというものは存在せず、性欲ドリブンな行為になってしまっているのです。そこで一度ぼくは立ち止まります。もう一度あの純粋にエッチを楽しむ心を取り戻したい、という思いから考えていることをありのまま書き連ねられるブログを開設することにしました。そこにたとえ需要がなくとも供給し続けます。それこそ文章を自己満足で書いているという意味では1人エッチじゃないか!ともっともな反論をする人もいるかと思いますが、それは断じて違います。なぜならこれはぼくとことばとの聖なる空間だからです。このブログはぼくとことばとの間には誰も入って来れない、とてもスケベな空間なのです。こうしてぼくはこれから先もこのブログではことばといちゃいちゃしていこうと思っています。