帰国子女を妬む前に日本語を勉強しろ

はじめに

ぼくは帰国子女です。海外生活のことをこちらの記事で少し紹介しているので、合わせて読んでもらえると嬉しいです。

さて、ぼくは6年間シカゴという都市に住んでいたおかげで英語が難なく喋れます。小学校6年間アメリカに住むとどれくらい英語ができるようになるかは個人差はありますが、ぼくはセンター試験満点、TOEIC970点、英検1級を持っているくらいには英語ができます。自慢できることがこれくらいしかないのでお許しください。このように英語が武器と言えるぼくは今までまわりの人々に「英語喋れていいなぁ、オレも帰国子女に生まれたかった。」と死ぬほど言われてきました。確かに親の仕事の都合で英語圏に移住し、英語を習得できたことは本当に恵まれていたなぁと思います。が、そういう人々に声を大にして言いたいのが、帰国子女が苦労せずに英語を習得したと思ったら大間違いだぞ、ということです。なんでこう思うかをこれから綴っていきます。

好きで外国に行ったわけではない

まず大前提としてぼくの意思は関係なしに突然目の色も髪の色も違う国に放り込まれたのです。親の仕事の都合とはいえ、拒否権がない、移動先の情報を教えられていない、海外連行というところを見ればちょっとした拉致みたいなものと言って良いです。留学みたいに自分で何かスキルを身に付けたくて行く海外や、旅行みたいに娯楽のために行く海外とはまったく訳が違うのです。留学や旅行にとって海外はあくまで手段でしかありません。英語を身に付けたいという目的、休暇を楽しみたいという目的、これらを満たす手段としての海外渡航です。一方のぼくはというと目的もないし当然それに付随する手段もありません。ぼくが海外に渡航した理由はシンプルに養われている身として親についていく以外選択肢がなかった、という説明しかできません。もちろんそこで英語を身に付けたのは事実ですが、それはあくまでも結果としてそうなっただけで、もともとそれを望んでいたわけではないことは分かって欲しいです。なんなら人生最大のモテ期を過ごしていた日本での幼稚園生活を手放さなくてはならなかったことに辛さしかありませんでした。できることなられいちゃん、あかりちゃん、すーちゃんとしっかりお別れをしたかった…。とにもかくにも、その当時の生活をすべて捨て去ることを余儀なくされ、幼馴染と呼べたはずの友人たちとの関係も切らなければならなかった事実を完全に無視することはできないでしょう。というかしないでください。

苦労して英語を習得している

外国に住めば、その現地で使われている言語を勝手に習得できると思っている方、WRONG。帰国子女だから英語を喋れると思っている方は大間違いです。実は隠れ帰国子女という人たちが一定数いて、この類の人々は英語圏に住んではいたものの英語をあまり習得していないがために自分のことを帰国子女とまわりに告白しない傾向にあるのです。そんなこと本当にあるのか?と思うかもしれませんが、事実帰国子女仲間を最もよく知っているのは同じ帰国子女であるぼくのような人であり、そういう人たちは一定数いることは断言できます。ではなぜこのような人たちもいるかというと、日本人学校に通うことで、極力日常生活から英語を排除し、いずれ待つ本帰国までの間を耐え忍ぶ層もいるからなんです。英語圏に住んだなら現地校に通って英語を習得すればいいじゃん!と思う方も多いと思います。が、このような人たちも合理的な選択をしているということもできるのです。それは、2〜3年の期限付きで海外赴任する家庭の場合、現地校に子どもを通わせたところで思ったように子どもが英語を習得できず、暗い学校生活を送りトラウマにさせてしまうリスクがあるからなのです。特に子どもが中学生や小学校高学年の場合はすでに英語に苦手意識を抱いている場合も多く、なかなか現地校に我が子を送り込むのはある種の賭けだと感じる親御さんも少なくないでしょう。このことから何が言いたいかと言いますと、帰国子女で英語が堪能な人だって苦労して英語を習得している、ということです。稀に言語に関する才能がずば抜けていてまったく苦労せずに何ヶ国語も習得してしまうゴッドみたいな人もいますが、大抵の人はそんな人生うまくいきません。実際ぼくも普通に現地の子と違和感なく交流できるようになるために2年半ほどかかったと思います。それまでは本当に厳しかった。体調が悪くてもその症状を伝えられないし、ふざけあっているまわりのクラスメートがなんで笑っているかもわかりません。まだ物心がついていない6歳の辛かった記憶が鮮明に残っているくらいなので、当時のぼくとしては相当辛かったのでしょう。物心がついている今になっても朝何を食べたか分からないくらい記憶力の悪いぼくが言うので間違いありません。「海外に住む=英語が完璧になる」という幻想を抱いている人は今すぐそれをティッシュに包んでポイッしてください。

日本語の習得だって苦労している

滝沢カレンさんの日本語は自然だと感じますか?ぼくはどことなく不自然で独特なフレーズを使う滝沢カレンさんのナレーションが大好きです。ある日テレビで滝沢カレンさんがナレーションをしているバラエティ番組を観てげらげら笑っていると、母親が「昔のあんたを見てるみたいやな」と言ってきたことがあります。しかも真顔で。たしかに思い返してみると、アメリカに住んでいた間も帰国してからしばらくの間も親に日本語の表現がおかしいと口すっぱく注意されていました。自分では何がおかしいのかさっぱり分からなかったためとりあえず「はぁ」と聞き入れていました。帰国後は友達にも変なイントネーションやカタカナ語の使い方で笑われることが日常的に起こったため、自分の日本語はおかしいんだ!初めて気付き、書籍を読んだり人の会話を聞いたりしながら徐々に正しい日本語の使い方を学びました。これも帰国子女にとっては必然とも言える現象で、英語の能力を得ても往々にして日本語能力を失っていくことがほとんどのケースです。しかし、海外で暮らすことは一時的なことに過ぎないため、結局は帰国してから日本での生活を送っていく必要があります。その上で単一民族国家である日本では日本語を不自由なく話せることは日本での生活に必須です。言葉の綾といった日本特有の表現にもうろたえることなく綺麗な日本語を使いこなすことが常識人として求められる社会です。そんな日本社会に溶け込むには当然帰国子女も例外なく不自然さを感じさせない日本語を使えないといけません。となると、6年間英語を喋れないといけなかった環境にいた自分みたいな子は、12時間の飛行機に乗って太平洋を渡りきった瞬間、まわりの日本人と同じように流暢な日本語を話せないとバカにされるわけです。日本人としてしっかり日本語を習得するのもまたひと苦労です。学校の英語の授業で習うように主語や述語、形容詞や形容動詞、文章の書き方から漢字まで一から頭に叩き込んでいかなければなりません。幸いぼくはアメリカに住んでいたとき土曜日だけ日本人学校に通っていたため、漢字などの遅れはありませんでしたが、それでも日本語の遅れを取り戻すことに必死になった年月を送りました。

帰国子女を妬む暇があれば母語を習得しろ

これまで帰国子女として感じていた様々な苦悩をつらつらと述べてきました。正直読者的にはうざくて仕方ないと思います。ここで一点勘違いして欲しくないことは、ぼくは帰国子女として生きてこれたことを素直に恵まれていると思っています。親に対して何も怒りの感情もありません、むしろ感謝しかないです。そのことを理解していただいた上でぼくの意見を聞いてください。「帰国子女はずるいなぁ」「俺/私だって帰国子女になりたかったなぁ」という人たちはいつまで経っても英語を習得することができない人たちだと思います。さらに言わせてもらうと、日本語の能力も高くないです。お怒りになる前にまずは経験則的な角度から、続いて一般論からその理由を聞いてください。まずは経験則ですが、英語を話す意欲が本当の意味で高い人は帰国子女のことを妬みなどせず、自分の置かれた境遇の中で精一杯英語を習得する努力をしています。英会話教室に通ったり、人一倍英語の勉強を頑張ったり、英語の本や映画に触れてみたり、留学をしに行ったり。人それぞれの方法で努力をします。実際ぼくのまわりで英語を習得する意識の高い純ジャパはぼくに英語で分からないことを質問してきたり、ぼくになど目もくれず自分の英語の習得に没頭していることが多いです。反対にいつまで経っても他者を妬んでばかりいる友人は英語どころか日本語すらろくに扱えなかったり、努力していることもなくただ漫然と日々を過ごしているように見える人は多いです。ここまではあくまでもぼく個人の経験に基づく話でした。ここから一般論に昇華させたいと思います。何か能力を習得したいという思いが強い人は自分の能力不足を環境という外的要因のせいにせず、自分の知識・経験不足という内的要因に求めます。なぜなら環境は容易に変えられるものでもないし、同じ環境にいても能力が高い人がいることを正面から受け止めているからです。そのことを分かっている人は可変的な自分の努力で課題を解決することに努めます。一方能力不足を環境のせいにしてしまう人は自分ができないと感じるあらゆることを環境のせいにする悪い癖がついてしまっていて自分ができないことを正当化するために手っ取り早く隣の芝生は青いと割り切りします。「お宅はいいですね、芝生が青くて。うちなんて芝生はハゲてしまいましたわ」なんて言います。でももしかしたら自分の家の方が大きいかもしれません。家具も揃っているかもしれませんし、家族愛にも恵まれているかもしれません。せっかく持っている財産を無駄にしてしまっていませんか?もしかしたら帰国子女だって日本の学校に憧れているかもしれません。青春時代の夏祭りや花火大会、歩いてコンビニまで行ける利便性、女性が一人で夜に歩いても大丈夫な安全性、たまの休日にふらっと行ける温泉、どんな悩みも打ち明けられる幼馴染。そう考えなくとも、これらの財産のありがたみには気づけるはずです。もしそのことに気づけないのであれば、根本的な問題があります。英語を習得したいなど言っている場合ではありません。とりあえず、歴史や文化、教養を身に着けるという意味でもまずは母語の美しさに気づくことから始めてみませんか?ちなみにぼくはというとイケメンとかお金持ちとか芸能人とかめっちゃ羨ましいしそういう人たちを妬む気持ちがおさまらない日々です。