残業を悪く言うな、本当は好きなんだろ?

はじめに

ぼくも日本人なのでこういうことは書きたくないのですが日本人には残業を好むDNAが深く刻み込まれていると確信しています。根拠はまわりの人間です。「ブラック企業」や「働き方改革」など残業を批判する言葉が昨今世間で広く使われています。ぼく自身も日本のサラリーマンってやばいな、って思うことは多々あります。例えば必ず席に座れると分かっている終点駅で電車を待っている最前列の男性2人、電車が来たときに何をし出すかと思いきやドアがまだ開いてもいないのに肩で互いにタックルし合うのです。ラグビーの練習かな?とヘラヘラ見ていたらなんと取っ組み合いにまで発展します。大変な状況に気付き駅員さんが駆け寄り喧嘩を仲裁します。このサラリーマンの方々のおかげでぼくはありがたく席に座ることができました、ラッキー。こんなことが起こるのは普通あり得ません。常識的に考えられないことです。しかし常識的な人間をこうも狂わせるのは日本の一般的な働き方に基づくストレスでしょう。そのストレスの多くは残業からくるのではないでしょうか?「昨日23時まで会社に残っていたよ」とか「結局家帰ったの日をまたいでからだった」とかをよく耳にしますね。でもこれ、一見嫌がっているように見えて実はみんな残業することが好きなのでは?というのがぼくの仮説です。こう思った経緯を今回は記していこうと思います。

無給インターンで残業する学生

就活をしていると業界や企業のことを知ることができる以上に、普段交流しないような学生たちと話す機会があることが貴重な経験になったりします。他大学の学生と話すと大学では受けないようなインスピレーションを受けることが多々あります。例えば陸の王者慶應ボーイたちの人生イージー舐めプモードを目の当たりにすると自分の悩みが小さいものだと気づかされて吹っ切れることがあったりします。美大生と話すと普段ぼくたちが何気なく使っている「ファッション」という言葉や「ポーズ」という言葉の本当の使い方を教えてくれたりして、少し世の中を見る角度が変わったりします。そんな中で大学を問わず半分以上の学生に当てはまる共通項があることに気がつきました。それは就業時間外でグループワークをやりたがることです。飲みに行きたい、遊びに行きたい、もう少しみんなで話して仲良くなりたい。こういった願望はあって然るべきだと思いますし、理解できます。しかし、無給のインターンシップで時間外の作業をやりたがるやつは一体頭の中に何が咲いているのでしょうか?朝同じグループの人たちと顔を合わせて挨拶するやいなや「いやー日付が変わる前には帰りたいね!」なんて意気揚々と言うやつがゴロゴロといます。今日原宿でスカウトされちゃった、くらいのテンションで言ってきます。もう一度確認しますが、こいつらは頭の中が湧いているに違いませんよね?しかも冗談で言っているかと思いきや本当にみんな時間外作業をする前提で話を進めるしもっと怖いのは隣の班に至ってはファミレスでみんなで徹夜したなどとのたまうのです。ほんこわってやつです。ぼくは本選考でもない無給のインターンで残業をする意味が正直これっぽっちもわからないので毎回グループのメンバーにはその旨を伝えていますし、幸いなことに今までグループメンバーには理解をしてもらえてきました。自分なりにこの摩訶不思議な現象を分析した結果、日本人は就職する前から残業をしたがる傾向がある、と考察しました。はっきり言ってお金も出なければ成果にも繋がらないような残業を無給インターン生がするインセンティブはどこにもありません。だとしたらもうそれは先天的に残業をしたがるDNAを日本人が持っていると考えるしかありません。しかも何が違和感を増幅させているかと言いますと、残業する前提で話が進むため、ワークの生産性が本当に低い。時間はいつまでもあるものだと思って作業をする人があまりにも多すぎるため、就業時間中の密度が薄かったりします。本末転倒とはまさにこういうことなのでしょう。

残業が偉いとされる文化

社員がまったく残業せず、就業時間が終わると面白いように全員すぐ帰路につくような企業があります。その企業の社員の方とお話をする機会があり、なんで残業ってなくならないんですかね?と聞いてみたことがあります。その人いわく大きい原因になっているのは残業をしている人が偉いとされる文化が未だに根強く残っているからだそうです。その正確性についてはぼくは分かりかねる部分もありますが、たしかにそういう性質は多くの日系企業であるだろうなと思います。上司が残業をしている横を颯爽と帰る部下、自分の仕事が終わらずに残業している同僚の横を通り帰宅する。たしかにぼくも自分に置き換えるとなかなか帰りづらいだろうなとは思います。でも視点を変えてみると、残業せざるを得ない状況は2つしかパターンはないのです。1つ目は仕事量が多すぎることです。納期の関係や顧客の関係である期間仕事量が急増し残業することを余儀なくされることはあります。2つ目のパターンはその人が単純に仕事ができないことです。先ほどのインターンの例でも挙げたように、仕事ができない人というのは口から血尿が出てしまうくらい効率が悪いです。え、なんでそれ今やる?とかそのデータ調べるのにそんな時間かかる?などの疑問が度々ワーク中に湧き上がってくることがありました。そういう人は効率が悪いため、設定された時間の間に適量の仕事を終わらせることができないのは当然で、残業する羽目になります。1パターン目の仕事量が多すぎることに関しては個人ではどうしようもないため組織的な改善が必要です。しかし大きな問題が介在しているのは2パターン目を擁護する文化の方です。仕事効率が悪く残業している人に「あの人は偉い」という賞賛を送るのは甚だふざけた話です。ぼくがもし一労働者として残業時間が多かったら、普通に恥ずかしく思うと思います。だって、2パターン目であれば自分から仕事ができないやつですって言っているようなものですもん。アメリカの働き方が良いと一面的に言うつもりはまったくございませんが、残業している人が偉いとされる文化から残業している人は恥ずかしいとされる文化へ少しずつ移行できないものかと頭を悩ませております。まぁ、ぼくみたいなアホ大学生が何かできるわけではないのですが。

残業手当という悪しき制度

以前先輩にこんなことを聞きました。「社会人になったらやっぱり稼ぎは学生と比にならないですか?」と。それに対する先輩の答えが「まだ残業していないからそうでもないよ。」と。その先輩が言うには残業手当があるからこそ社会人の稼ぎはいいのだそうです。これに関してもやはり違和感を感じざるを得ません。もちろん顧客の急な要望に応えるために残業したり、社内体制の急変に対応するために残業することは致し方ないことなので手当が出るのは当然だと納得しています。しかし別に残業をする必要に駆られてもいないくせに稼ぎたいから社内に残ってどうでもいい仕事をだらだらとやってそのくそみたいな仕事に対して会社側もしっかりとお小遣いをあげるこの仕組みは一体どんな意味があるのでしょうか?どうでもいい残業にも手当を出す悪しき制度をやめれば少なくともカネ目当てで会社に残っている人はいなくなります。残業手当がなくなると生活が苦しくなる、という声に対しては2つ案があって、まず1つ目は年間残業代として支給されるであろう手当分をあらかじめ給与に含め、残業手当を廃止することが考えられます。要は残業しようがしなかろうがそれも全部加味した給与体制にするということです。2つ目は残業時間が少なければ少ないほどボーナスが跳ねるという仕組みにすることです。ただただ残業時間が少なければボーナスの額がいいというのは虫のいい話なので従来通りパフォーマンスの評価をベースにして、残業時間の少なさをそこに上乗せ報酬として乗せる方針がいいと思います。こうすることでボーナス残業手当をなくしても仕事の質も労働者がもらえるお給料も下げることなく残業時間を減らすことができるのではないでしょうか?

残業したいのであれば残業自慢はやめてくれ

残業が大好物な人もいるこの世の中で別に残業を真っ向から全面否定するつもりはありません。ただ、僭越ながらひとこと申し上げさせてもらうとすれば、残業自慢をしないでくれ、ということです。残業したことをアピールされてもぼくだったらこの人仕事できないのかなぁって思ったり悲劇のヒロイン気取りなのかなぁと思ったりしてしまうので、ちょっとイタい人だと思ってしまいます。もし残業好きな性格の人が同じように残業自慢していたら余計イタいです。ゲーム好きな人が「いやぁ参っちゃったよ、昨日朝の3時までゲームしちゃってさ、というか昨日じゃなくてもはや今日の朝か!」って言っているのを聞かされているようなものです。あー、いたたたた。もう本当にやめて欲しい。なので、残業したい方はご自由にどうぞ。とにかく残業をして肩幅効かせないでください。社会人になって残業せざるを得ないときがきたらこの偏った見方は変わるかもしれませんが、とりあえず今は残業文化に対しては斜に構えていようと思います。