今年の抱負は健康第一

お久しぶりです

お久しぶりです。2019年初投稿がまさか2月になるとは思いませんでした。前までの記事は冗長ゆえに次に書く記事も腰を据えて書かないと、みたいなプレッシャーを感じていました。結果的にこのブログを描き始めた当初の目的だった、思いのままつらつらと自分の頭の中を整理するという点を見失っていました。反省してこれからは長さにとらわれず、週に2,3回ペースで頭の整理をここでしていきたいなぁと思います。文章ももっとすっと入って来るような書き方をして、逆に頭の中の混乱を加速させることだけは避けたいなと思います。

さて、本題ですが、今年ぼくは健康第一を意識して1年間暮らしていこうと考えています。年初めに抱負を立てたり目標を掲げたりすることは今までしてこなかったのですが、なぜか今年は立てようという気になりました。理由は単純に自分の生活を見直してもうちょっとシャキッとしたいと思い、手っ取り早かったのは抱負を年初に立てることだったからです。

健康第一ってじじいみたいな抱負ですよね。なんで20そこそこのガキはある程度無理をしてでも色々やってみるものです。しかしその少し無理した生活を送っていた自分はどんどん体調を壊す頻度が高くなることに気づきました。運動もほぼできず不規則な生活をしていた自分の生活を振り返り、このままでは社会人になってもっと忙しくなったときに本気でぶっ倒れてしまう、と感じたため、今のうちから多少無理しても倒れない体作りをしていくことを決心しました。本物の健康を目指します。誰も止めないでください。とりあえず週に3回は運動をする時間を作り、走って筋トレします。ご飯は最低でも週に3回は家でしっかり食べるようにします。夜は12時までに寝て朝は8時までには起きます。早寝早起きは大事です。そしてアルコールを摂取することも極力控えます。大学生活、長い春休みに入り、お酒を飲む予定がそれなりに多くはありますが、足を運ぶ飲み会はしっかりと取捨選択し、ちゃんとした飲み方を今まで以上に心がけようと思います。

とにかく今回は短かい投稿でしたが、自分の抱負をしっかりとここにしたためることができてよかったかなと思います。それでは今から飲み会に行って参ります。

初老のおばあちゃんと工事現場のおっちゃんから学ぶ思いやりの話

はじめに

皆さんは電車で席を譲った経験はありますか?あるいは譲られた経験もあるかもしれません。ぼくはまだピッチピチの若者なので席を譲る側になることが多いです。席を譲るとなんか気持ちいいですよね。「この人はこの席を必要としているよなぁ」って。席を譲ったあとは何気なく清々しい表情になりますね。ぼくレベルになるともはや席を譲りたくて仕方ないからあえて満員電車の優先席のドアに1番近い席に陣取ってすぐに席を譲れるように構えたりなんかします。なんなら席を譲るために電車に乗ります。別にどこか行く予定もないのに。おふざけはさておき、席を譲る行為といった思いやりの気持ちって気持ちいい行動のはずなのになんか歯がゆさを感じたり違和感に悩まされる場面ってありませんか?まわりから注目される恥ずかしさだったり好意で席を譲っているのに不満そうな顔で断られたり、逆に譲られるのが当たり前のように王様気取りで座る人もいますよね。そんな日常を目にする機会が増える中、「あぁ、思いやりってこういうことだよな」と感じたシーンを見かけたので忘れないうちに記しておこうと思います。

席を譲れなくなった日本人

先述の通り、昨今日本では席の譲り合いの場面にうまく言い表せない気まずさ、歯がゆさみたいなものがあるように感じます。これは都会に住んでいるからでしょうか、やはり合理的かつ閉鎖的な人が多いような気がします。例えば満員電車でラッキーなことに優先席に座れた中年のサラリーマンがいるとします。席に着くや否やスマホゲームに夢中になります。お勤めご苦労様です、席に座って現実から逃避できる貴重な時間ですね。ところが次の駅でよぼよぼのおじいちゃんがぎゅうぎゅうの満員電車に乗り込んでくるとどうでしょうか。このおじいちゃんを一瞥したサラリーマンはすぐさまスマホをカバンにしまい、居眠りを始めるではありませんか。さすがにそれはないぜ、と心の中で呟いていそうなその隣に座っていた若い女性も何も目にしていないような素振りでアイラインを引いていきます。この酷い有様は他人事ではありません。実際私もおじいちゃん側の立場になったことがあるからこの状況がいかにやばいかが身にしみてわかります。別に一時的に年をめちゃめちゃとった訳ではありません。中高生のときに脚を骨折し松葉杖をついて歩いていたときのことです。骨折をしているため通勤ラッシュに当たらないよう避けるつもりでもなかなか完全にずらすことはできず、そこそこの満員電車に乗ったある日、ぼくは衝撃を受けました。それは車両の人々から視線を感じるも、誰一人として席を譲ろうとしないことです。これは1度だけではありません。むしろ1度だけ席を譲られたことがありましたが、そのときは車両で最もパイセンなのでは?と思えるくらい年を召していた死にかけのおばあさまから席を譲られた時だけです。さすがにそのときは遠慮しましたが。別に席を譲ってくれと言いたい訳ではありません。少し譲って欲しかったのは事実ですが、何が言いたいかというと、最近みんな、自分がわざわざ責任感を感じて席譲らなくても良くね?って思ってね?ってことです。もしこれが勝手な思い過ごしだとしたら申し訳ないのですが、渋谷ハロウィンでの荒れ具合といいネットでの無責任な誹謗中傷といい、最近みんな大衆の陰に隠れて良心に背く行為を平気でしてしまう傾向にありませんか?と思うことがあったりします。一言でまとめると思いやりの気持ちが社会全体で薄れていませんか?ということです。一言ではまとまらなかったですごめんなさい。

思いやりのロールモデル

そんなことをぼんやりと考えていたときにまさにこれが思いやりだよね!という光景を見かけます。それはぼくがある夕方電車に揺られていた時でした。帰宅ラッシュの始まりということでちょうど座れないくらいの混雑で、幸いにもぼくはいい感じの席に座ることができ、座席のありがたみに浸っているところでした。真ん前には工事現場のおっちゃんと思しき、いかついルックスのマイメンがどっしりとした構えで座っていました。この歳になってまで帽子を斜め被りするのか、メンズノンノでも読んで欲しいな、と思いつつもぼくは完全に座席でリラックスモードに入っていました。2駅くらい先の駅で電車が停車すると初老くらいの可愛らしいおばあちゃんが乗ってきます。おばあちゃんは乗ってすぐのポールにしがみつき、ドアの方を向いてちょこんと立っていました。しっかりとした足つきでしたが、少し背中が曲がっていて、向かい側の席から見ていたぼくは席を立とうかなぁと思っていたその瞬間でした。斜め被りマイメンが気だるそうな表情で「ばあちゃん座るか?」とそのおばあちゃんに声をかけるのです。それに対しおばあちゃんは「すぐ降りるから大丈夫よ、ありがとね」と即座にアンサーを返します。クリティカルを食らったマイメンは再びどしっと腰をおろしヒップなホップに聞き入るのでした。この光景を見たぼくはあまりにも心が動かされ、その場で2人のラッパーをただただ眺めることしかできませんでした。一見どうでもいいサイファーにしか見えないかもしれませんが、このワンシーンが思いやりをそのまま体現しているのではないでしょうか?マイメンは瞬間的に声をかけたことから悩んだ末の偽善心からくる行為でないことも分かる上、言葉遣いも距離を感じさせるような敬語を使わず、シンプルなおばあちゃんへの思いやりの気持ちから席を立とうと声をかけます。それに対しポールしがみつきおばあちゃんは自分の健康もさながら、1駅、2駅であればわざわざ席を譲ってもらうほど大したことないことを伝えるとともにありがとうとその配慮の気持ちへ感謝の言葉を贈ります。冒頭でも申し上げた通り、なんかこういうのっていいですよね。こういう日常の瞬間に温かみや人間同士の営みを感じます。誤解を招く前に断っておくとこのマイメンとおばあちゃんが営んだわけではないですよ。多分。

思いやり、もう一度

結局何が言いたかったかもうあまり覚えていませんが、少なくともぼくはこの一連の様子を見てとても感動しました。24時間テレビとかとは比べ物にならないくらい。ささやかな日常にこそ心が動く瞬間というのが秘められているということがよーくわかりました。とにかく、こうしたきらりと光る日常の光景をもっともっと増やしたいです。それをして社会がより良くなる、とか経済がより発展するとかではないかもしれませんが、なんかいいなって思える人や時間が増えることって悪いことではないですよね?ポンコツそうなサラリーマンが赤ちゃんに手を振ってその赤ちゃんもまた手を振り返す瞬間とか。定期入れを落とした若い女性にパッと拾って駆け寄って渡しに行く高校生の集団とか。駅の看板を見ながらくるくる回っている外国人家族に助けの手を差し伸べるメガネの似合うニット帽を被ったお兄さんとか。なんかいいなって思える人が世の中に数人でも増えればそれだけで少しいい世の中になったと言えるんじゃないかなと思うんです。そこには大衆の陰に隠れてコソコソと悪事を働くのではなく、ほんの少しの思いやりを一人ひとりが取り戻すちょっとした気持ちが必要な気がします。インスタグラムで2年記念日、これからもずっとよろしく♡ってストーリーに投稿する女子大生、なんかいいなぁって…。

赤信号だからといって横断歩道を渡らない人は思考力が低下している

f:id:slamminfreak04:20181117011128j:plain

はじめに

赤信号なのに颯爽と横断報道を渡り歩いて行く人ってたまにいますよね。みんなが赤信号で止まっている中まわりの目も気にせず横断歩道を渡る人、きっと見かけたことあるのではないでしょうか?こんなことを言っておいて実はぼくもそういう人種の一員です。みんなが信号に変わるのを今か今かと待ち望んでいる横をするする通り抜けて道を渡ります。なんでそんなことをする、規律を乱しているじゃないか。そう憤りを感じる方もきっとおられることと思います。ぼくだって信号を無視して横断歩道を渡ることは決して褒められることではないと思いますし、ルールに反したことをすることがちょい悪でかっこいいとは1ミリも思いません。あ、1ミリは思うかもしれません。それでもやっぱり赤色に光るLEDライトをぼけっと見つめて青く点灯するのをバカみたいに待つのはぼくにはできません。普段何も考えていないぼくですが、それ以上に赤信号だから渡らないという持論を振りかざす人はきっとさらに考えていないのかなと感じたためそのことについて今回はつらつらと綴らせていただきます。

信号機は社会を効率化するツール

信号ってそもそもなんでできたのでしょう?路面電車や自動車が普及して交通事故の危険性が生じる世の中になったから信号機が生まれたんじゃないかと思い、一応色々調べてみました。中でも警察庁のサイトに読みものとして面白いページがあったので、こんなどうでもいい記事を読んでいないで、すぐさまこちらのページを読んで教養を深めてもらえればよろしいかと思います。
(参考)交通信号の創始期 信号機の歴史 警察の歴史(警察庁)
さて、リンクを飛ばして続きを読んでくださっている物好きなあなたには最後まで付き合ってもらうとします。簡単に信号機の起源をご紹介すると、自動車や電車ではなく、馬車が使われるようになってから交通事故が起こるようになり、警察官らが手信号で交通整理をしていたとのことです。予想とは少しずれてしまいましたが、交通事故を防止するため、という部分は合っていたみたいですね。つまりこう言い換えることができます。信号がないと交通事故や交通渋滞という社会非効率が生まれてしまったため、そんな社会の効率化をはかるツールとして信号機が生まれたと言えます。そうです。信号はあくまでも交通事故を未然に防いだり交通渋滞を緩和するための道具に過ぎないのです。ここから導けるのは赤だから止まる、青だから進むというという理論は完全に信号の機能を無視してなんでその信号があるのかという本質を捉えていないということです。結局危なかったら信号が青でも止まるように、危険性がまったくなければ赤信号であっても道路を渡ることで一人の生活者としても目的を達成できますし、社会の効率性も損なわれません。赤信号だから止まらないといけない、という短絡的かつ論理性にかけたことを唱える人はもうGood night.頭だけいいやつもうGood night.広くて浅いやつもうGood night...

信号通りに行動する規律の正しい国日本

ある日ぼくがいつものようになんでもない小さなT字路で赤渡りをしたそのとき、一緒にいた同級生にこう言われました。「規律を重んじる文化がある日本の一国民として恥ずかしくないの?」と。そのときにぼくは少しはっとさせられました。もしかして、ぼくってこの友達から見て一国の恥だと思われている?と思い、なんとなく何故そう言われたかを考えました。「罪の文化」、「恥の文化」はご存知でしょうか?アメリカの文化人類学者ベネディクト氏の『菊と刀』という著作では日本人の国民性について分析が行われました。その著作の中で、欧米人は罪の文化を持ち、日本人は恥の文化を持つと表現しています。「罪の文化」とは良心に背く行為をしてしまったら罪を背負うことになるため、良心にしたがって行動する欧米の文化のことを指します。一方の「恥の文化」は世間や他人の目に触れても恥ずかしくないように行動する日本独自の文化のことを指します。話を元に戻すとしましょう。このベネディクトさんが提唱した考えを想起したぼくはたしかに赤信号を渡ったときにほかの人たちは全員信号が変わるのを待っていたことに気付きました。その中で平然とぼくはその規律を乱すようなことをしてしまったせいでその友人は恥ずかしい!と感じたのでしょう。まさに他人の目を気にする恥の文化が綺麗に現れたシーンだと思いました。この答えに至ったときにはすでにぼくは快感に浸っており、恥じらいなどという感情は少しばかりもありませんでした。他人の目を気にする国民性と言うと聞こえは悪いですが、実はいいことだと個人的に思っています。見方を変えると規律を乱さない国民性と捉えることもできます。小学校の運動会でも背の順で体育座りをし、前ならえをした後に全員で一体感のある器械体操をします。中学、高校でも生徒は統率のとれた制服を着て登下校します。幼い頃から当たり前に団体行動がしっかりできる国というのも世界では珍しいでしょう。この国民性が日本人に備わっていなければ終戦後わずか20年足らずでオリンピックを開催することなどできなかったのではないかと思います。東日本大震災ほど大きな災害後の避難生活でも避難者たちは自分たちの分の支給品が配られるのを順番に待ち、復興に向けて国全体が一致団結しました。またまた脱線してしまったので元に戻るとします。信号が赤だからみんな止まり、信号が青だからみんなが進むという規律がここまでしっかり徹底して守られている日本は世界でも本当に稀有な国です。これはたしかに見方によっては美徳だと捉えることもできるでしょう。ぼくはそんな素晴らしい文化が根付いている日本だからこそ規律に従うだけではなく一人ひとりが自らの頭で考えて行動するべきだと思います。何かが起こればいつでも団体行動ができる、個々がばらばらに動いていたとしても緊急事態には一つにまとまる能力を備えている。そんな日本の国民性があってこそ初めて自分の考えにしたがってやりたいことを自由にできるのではないでしょうか?

考えなくて済む社会に飲まれるな

高校のときお世話になった恩師にこんな話を聞いたことがあります。ベトナムでは道路の横幅いっぱいにバイクがブンブン走っている。もちろん道路には信号機も設置されていて赤に点灯したり、はたまた青に変わったりする。道路の上でライダーや歩行者が行き交う条件は日本とまったく変わらない。ただ唯一違うのはその信号を守っている人など1人もいないということだけだ。バイクを運転する人は横を走っている運転手や前後左右を縦横無尽に走るライダーたちの間をするする走り抜ける。歩行者も歩行者で道路の対岸にたどり着くために首を横に振り続けながら少しずつ少しずつ歩を進める。止まれないバイクと止まりそうなバイクを見分けながら。そうして命がけでみんな道路を渡っていくのだ。こういうお話を高校生のときにぼくは聞きました。ここから何が言えるかというと、みんながみんなしっかりと信号の規律を守ってくれる日本に生まれて幸せだということです。命からがら道路の対岸を目指す必要のあるような生活を強いられていません。まずはその社会のありがたさを感じることです。しかし、安全・安心な社会というのは裏に我々の思考力や生活力を脅かすような危険性を孕んでいます。身体が晒される危険性と頭脳が晒される危険性というのはある意味シーソー関係にあったりします。身体が安全になればなるほど頭脳で考える必要はなく、思考力の低下といった罠に陥ります。反対に身体が危険に晒されているほど思考するプロセスが多くなり、頭脳は健康な状態に保たれます。徴兵制度などがある諸外国からみたときに平和ボケしていると揶揄される日本ではたしかに自然とボケていってしまうほどの平和な社会が先代のおかげで築かれていると思います。そのような考えずに済む社会で悠然と過ごしていていいのでしょうか?自分の頭で考えることを自ら捨ててはいないでしょうか?あれ、こんな人通りも車の通りも少ない道端でなんで自分はいつまでもあのLEDライトを見つめているんだっけ。そうやってボケていく自分にツッコミを入れることができたときが物事の本質を見る目を身につける一歩目です。その踏み出した一歩の先で立ち構える信号はさぞかし青く光っていることでしょう。うまく話がオチたところで結びとさせていただきたいところですが、高校卒業後ベトナムに行き自分の目でベトナムの交通事情を確めに行ったところ、ものすごく信号を守る人が多くて高校の恩師の言うことなど鵜呑みにせずに自分の頭で考えて自分の目で確かめようと思った次第でした。この記事は自分に向けたブーメラン記事ってやつですね。

帰国子女を妬む前に日本語を勉強しろ

はじめに

ぼくは帰国子女です。海外生活のことをこちらの記事で少し紹介しているので、合わせて読んでもらえると嬉しいです。

さて、ぼくは6年間シカゴという都市に住んでいたおかげで英語が難なく喋れます。小学校6年間アメリカに住むとどれくらい英語ができるようになるかは個人差はありますが、ぼくはセンター試験満点、TOEIC970点、英検1級を持っているくらいには英語ができます。自慢できることがこれくらいしかないのでお許しください。このように英語が武器と言えるぼくは今までまわりの人々に「英語喋れていいなぁ、オレも帰国子女に生まれたかった。」と死ぬほど言われてきました。確かに親の仕事の都合で英語圏に移住し、英語を習得できたことは本当に恵まれていたなぁと思います。が、そういう人々に声を大にして言いたいのが、帰国子女が苦労せずに英語を習得したと思ったら大間違いだぞ、ということです。なんでこう思うかをこれから綴っていきます。

好きで外国に行ったわけではない

まず大前提としてぼくの意思は関係なしに突然目の色も髪の色も違う国に放り込まれたのです。親の仕事の都合とはいえ、拒否権がない、移動先の情報を教えられていない、海外連行というところを見ればちょっとした拉致みたいなものと言って良いです。留学みたいに自分で何かスキルを身に付けたくて行く海外や、旅行みたいに娯楽のために行く海外とはまったく訳が違うのです。留学や旅行にとって海外はあくまで手段でしかありません。英語を身に付けたいという目的、休暇を楽しみたいという目的、これらを満たす手段としての海外渡航です。一方のぼくはというと目的もないし当然それに付随する手段もありません。ぼくが海外に渡航した理由はシンプルに養われている身として親についていく以外選択肢がなかった、という説明しかできません。もちろんそこで英語を身に付けたのは事実ですが、それはあくまでも結果としてそうなっただけで、もともとそれを望んでいたわけではないことは分かって欲しいです。なんなら人生最大のモテ期を過ごしていた日本での幼稚園生活を手放さなくてはならなかったことに辛さしかありませんでした。できることなられいちゃん、あかりちゃん、すーちゃんとしっかりお別れをしたかった…。とにもかくにも、その当時の生活をすべて捨て去ることを余儀なくされ、幼馴染と呼べたはずの友人たちとの関係も切らなければならなかった事実を完全に無視することはできないでしょう。というかしないでください。

苦労して英語を習得している

外国に住めば、その現地で使われている言語を勝手に習得できると思っている方、WRONG。帰国子女だから英語を喋れると思っている方は大間違いです。実は隠れ帰国子女という人たちが一定数いて、この類の人々は英語圏に住んではいたものの英語をあまり習得していないがために自分のことを帰国子女とまわりに告白しない傾向にあるのです。そんなこと本当にあるのか?と思うかもしれませんが、事実帰国子女仲間を最もよく知っているのは同じ帰国子女であるぼくのような人であり、そういう人たちは一定数いることは断言できます。ではなぜこのような人たちもいるかというと、日本人学校に通うことで、極力日常生活から英語を排除し、いずれ待つ本帰国までの間を耐え忍ぶ層もいるからなんです。英語圏に住んだなら現地校に通って英語を習得すればいいじゃん!と思う方も多いと思います。が、このような人たちも合理的な選択をしているということもできるのです。それは、2〜3年の期限付きで海外赴任する家庭の場合、現地校に子どもを通わせたところで思ったように子どもが英語を習得できず、暗い学校生活を送りトラウマにさせてしまうリスクがあるからなのです。特に子どもが中学生や小学校高学年の場合はすでに英語に苦手意識を抱いている場合も多く、なかなか現地校に我が子を送り込むのはある種の賭けだと感じる親御さんも少なくないでしょう。このことから何が言いたいかと言いますと、帰国子女で英語が堪能な人だって苦労して英語を習得している、ということです。稀に言語に関する才能がずば抜けていてまったく苦労せずに何ヶ国語も習得してしまうゴッドみたいな人もいますが、大抵の人はそんな人生うまくいきません。実際ぼくも普通に現地の子と違和感なく交流できるようになるために2年半ほどかかったと思います。それまでは本当に厳しかった。体調が悪くてもその症状を伝えられないし、ふざけあっているまわりのクラスメートがなんで笑っているかもわかりません。まだ物心がついていない6歳の辛かった記憶が鮮明に残っているくらいなので、当時のぼくとしては相当辛かったのでしょう。物心がついている今になっても朝何を食べたか分からないくらい記憶力の悪いぼくが言うので間違いありません。「海外に住む=英語が完璧になる」という幻想を抱いている人は今すぐそれをティッシュに包んでポイッしてください。

日本語の習得だって苦労している

滝沢カレンさんの日本語は自然だと感じますか?ぼくはどことなく不自然で独特なフレーズを使う滝沢カレンさんのナレーションが大好きです。ある日テレビで滝沢カレンさんがナレーションをしているバラエティ番組を観てげらげら笑っていると、母親が「昔のあんたを見てるみたいやな」と言ってきたことがあります。しかも真顔で。たしかに思い返してみると、アメリカに住んでいた間も帰国してからしばらくの間も親に日本語の表現がおかしいと口すっぱく注意されていました。自分では何がおかしいのかさっぱり分からなかったためとりあえず「はぁ」と聞き入れていました。帰国後は友達にも変なイントネーションやカタカナ語の使い方で笑われることが日常的に起こったため、自分の日本語はおかしいんだ!初めて気付き、書籍を読んだり人の会話を聞いたりしながら徐々に正しい日本語の使い方を学びました。これも帰国子女にとっては必然とも言える現象で、英語の能力を得ても往々にして日本語能力を失っていくことがほとんどのケースです。しかし、海外で暮らすことは一時的なことに過ぎないため、結局は帰国してから日本での生活を送っていく必要があります。その上で単一民族国家である日本では日本語を不自由なく話せることは日本での生活に必須です。言葉の綾といった日本特有の表現にもうろたえることなく綺麗な日本語を使いこなすことが常識人として求められる社会です。そんな日本社会に溶け込むには当然帰国子女も例外なく不自然さを感じさせない日本語を使えないといけません。となると、6年間英語を喋れないといけなかった環境にいた自分みたいな子は、12時間の飛行機に乗って太平洋を渡りきった瞬間、まわりの日本人と同じように流暢な日本語を話せないとバカにされるわけです。日本人としてしっかり日本語を習得するのもまたひと苦労です。学校の英語の授業で習うように主語や述語、形容詞や形容動詞、文章の書き方から漢字まで一から頭に叩き込んでいかなければなりません。幸いぼくはアメリカに住んでいたとき土曜日だけ日本人学校に通っていたため、漢字などの遅れはありませんでしたが、それでも日本語の遅れを取り戻すことに必死になった年月を送りました。

帰国子女を妬む暇があれば母語を習得しろ

これまで帰国子女として感じていた様々な苦悩をつらつらと述べてきました。正直読者的にはうざくて仕方ないと思います。ここで一点勘違いして欲しくないことは、ぼくは帰国子女として生きてこれたことを素直に恵まれていると思っています。親に対して何も怒りの感情もありません、むしろ感謝しかないです。そのことを理解していただいた上でぼくの意見を聞いてください。「帰国子女はずるいなぁ」「俺/私だって帰国子女になりたかったなぁ」という人たちはいつまで経っても英語を習得することができない人たちだと思います。さらに言わせてもらうと、日本語の能力も高くないです。お怒りになる前にまずは経験則的な角度から、続いて一般論からその理由を聞いてください。まずは経験則ですが、英語を話す意欲が本当の意味で高い人は帰国子女のことを妬みなどせず、自分の置かれた境遇の中で精一杯英語を習得する努力をしています。英会話教室に通ったり、人一倍英語の勉強を頑張ったり、英語の本や映画に触れてみたり、留学をしに行ったり。人それぞれの方法で努力をします。実際ぼくのまわりで英語を習得する意識の高い純ジャパはぼくに英語で分からないことを質問してきたり、ぼくになど目もくれず自分の英語の習得に没頭していることが多いです。反対にいつまで経っても他者を妬んでばかりいる友人は英語どころか日本語すらろくに扱えなかったり、努力していることもなくただ漫然と日々を過ごしているように見える人は多いです。ここまではあくまでもぼく個人の経験に基づく話でした。ここから一般論に昇華させたいと思います。何か能力を習得したいという思いが強い人は自分の能力不足を環境という外的要因のせいにせず、自分の知識・経験不足という内的要因に求めます。なぜなら環境は容易に変えられるものでもないし、同じ環境にいても能力が高い人がいることを正面から受け止めているからです。そのことを分かっている人は可変的な自分の努力で課題を解決することに努めます。一方能力不足を環境のせいにしてしまう人は自分ができないと感じるあらゆることを環境のせいにする悪い癖がついてしまっていて自分ができないことを正当化するために手っ取り早く隣の芝生は青いと割り切りします。「お宅はいいですね、芝生が青くて。うちなんて芝生はハゲてしまいましたわ」なんて言います。でももしかしたら自分の家の方が大きいかもしれません。家具も揃っているかもしれませんし、家族愛にも恵まれているかもしれません。せっかく持っている財産を無駄にしてしまっていませんか?もしかしたら帰国子女だって日本の学校に憧れているかもしれません。青春時代の夏祭りや花火大会、歩いてコンビニまで行ける利便性、女性が一人で夜に歩いても大丈夫な安全性、たまの休日にふらっと行ける温泉、どんな悩みも打ち明けられる幼馴染。そう考えなくとも、これらの財産のありがたみには気づけるはずです。もしそのことに気づけないのであれば、根本的な問題があります。英語を習得したいなど言っている場合ではありません。とりあえず、歴史や文化、教養を身に着けるという意味でもまずは母語の美しさに気づくことから始めてみませんか?ちなみにぼくはというとイケメンとかお金持ちとか芸能人とかめっちゃ羨ましいしそういう人たちを妬む気持ちがおさまらない日々です。

どんなはだけた服よりもワンピースがえろい

はじめに

男性諸君、好きな女性の髪型、匂い、体型、顔の系統ってありますよね。いわゆるタイプとかフェチってやつです。御多分に洩れずもちろんぼくもあります。綺麗な脚とか肌とかにはクラクラ来ちゃいます。でも最近ハタチを過ぎて気付いたことがあります。それはワンピースほどえろい女性服はないということです。オフショルとかビキニとか色々あるだろ、と反対される前にまずはちょっとだけ読んでみて視野を広げてみてください。ワンピースを着た女性の前でこれから先は居ても立っても居られなくなりますよ。

チラリズムがキーワード

男性は最も性的興奮が上昇するのっていつだと思いますか?それは見えそうで見えない、でもやっぱり見えるんじゃないか?いやいや、なかなか見えない。という好奇心を掻き立てるようなチラリズムがそこには必要なのです。みんな大好き国民の彼氏、竹内涼真さんもしゃべくり007というテレビ番組で女性が自分の服の中を確認する仕草が興奮するとおっしゃっていました。やはり根底にある原理は同じで、チラリズムがそこにあるかないかで興奮するかどうかというのは決まります。

チラリズムには意思がない

ではチラリズムが出現するための定義って一体何なのでしょう?それは主体の意思があるかないかで決まると思っています。簡単な例で言うと、水着を着ている女性はもう肌を見せんとする気持ちが全面に出ちゃっていますよね?もう、私だけを見てぇ!と言わんばかりの格好でみんな颯爽とビーチを練り歩くわけです。これは男性の狩猟本能を掻き立てません。ライオンは迫ってくる鹿を食べません、逃げていく鹿だけを食べようとします。これは適当に言っているので多分どんな鹿であろうと食べられると思います。が、この感覚はわかっていただけると信じて先を急ぎます。つまり見せたいという女性の意思に対して男はあまり見ない生き物なのです。ぼくは見ます。逆に、見せるつもりがない、あるいは見せたくないと自己防衛をしている女性の仕草や行動は男の狩猟本能を掻き立て、アドレナリンがドバドバ分泌されるわけですね。

ワンピースは一見強いが隙だらけ

以上のことを踏まえると水着やオフショルなどの衣類は防護的じゃない、つまりそこまでえろくないということは納得いただけたかと思います。ではなぜ数ある衣類の中でもワンピースが選ばれたのでしょう?それは防護機能が強そうに見えて、実は案外隙だらけだということに帰着できます。まずワンピースは冷静に考えると1枚の布切れです。古代ギリシャ人たちが着ていたテロテロの布と防護機能はどっこいといったところです。1枚だと何が興奮するかと言いますと、ワンピースの下端をつまんでバッと上にひっくり返してしまえば、一瞬で脱がせてしまえます。これは大問題です。小学生のスカートめくりのつもりでやってしまっては取り返しのつかないことになります。さらに、チラリズムの原点に帰りますと、様々な角度からちらりするようにワンピースは設計されています。どういうことかと言いますと、首元の開き具合、脇元の無防備具合、足元の開放具合、どの部分をとっても日常生活の動作でちらりしてしまうように巧妙に設計されています。グッドデザイン賞を贈りたい。さらに追い打ちをかけるように興奮ポイントがもう1点あります。それはボディラインが露わになっているということです。普通のTシャツの生地で作られたワンピースは女性の動きに合わせてそのボディパーツのシルエットを映し出します。映し出される部位は動くことによって常々変化しますので、見ている側は全体像を妄想しながら見とれてしまうわけです。ワンピースで1日を過ごす女性の映画があったら、教えてください。ポップコーンを頬張りながら1日中観賞しようと思います。以上に見てきたように、ワンピースという衣類は一見防御的で消極的に見えて、実はものすごくえろすが詰まっている脆弱な服ということなのです。この記事を読んでくださった方はこれから先の人生、得して欲しいなと思うとともにこんな性癖を熱弁するぼくに会わないで欲しいなと心から願っています。

立食パーティーを上品なものだと勘違いしている人たちへ

はじめに

立食パーティーに行ったことはありますか?懇親会や結婚式の二次会等意外と立食形式のパーティーに参加することは多いのではないでしょうか?華やかなドレスに身をつつみきらびやかなピアスを耳に光らせ、きらきらと輝くシャンパンを片手におしとやかにうふふと笑う女性たち。そしてグリースでキチっと髪型を固め厚い胸板に蝶ネクタイを決めた男性陣は片手をポケットに突っ込み酔いに身を任せ夢を語ります。シャンデリアのもと飲食と談笑をこのように楽しむ男女の姿をあなたも思い浮かべるのではないでしょうか?しかし現実を見てください。この記事を読み終わる頃にはあなたもきっと立食パーティーに憤りを感じることでしょう。

表現の違和感

まず明確にしたいのは立食パーティーを言い換えると立ち食い宴会です。立ち食いそばと二文字違いです。立食パーティーと聞くと上品な印象を受けがちですが、これから皆さんは頭の中でしっかり立ち食い宴会と瞬時に変換するようにしてください。いいですか、立ち食い宴会ですよ。大事なことなので3回言いました。また違う角度から見ても立食パーティーという表現がおかしいことに気が付きます。立食パーティーというくらいなので開催されるのはパーティーですよね?ここで考えてみてください、座りっぱなしのパーティーの方が稀でしょうが。家でこじんまりとたこ焼きパーティーとかクリスマスパーティーとかする場合は座っていることの方が多いかもしれませんが一般的に「パーティー」って言うと大概の人は立っている。わざわざ立食って修飾する意味がまったくわかりません。「ITパソコン」とか「履くだけスニーカー」とか「中高年おばさん」と言っているのと同じ感覚です。立食パーティーという言葉を普及させた人は修飾語の使い方から学び直してください。

制度としての違和感

立ち食いと聞くとどのようなイメージを抱きますか?早くて安く大衆的、ですよね。どの立ち食いの例をとってもこのようなイメージは当てはまりますが、立ち食い宴会のやつだけは異臭を放っています。あいつだけは遅くて高く排他的です。すべて逆をついてきやがります。宴会を立ち食い形式で行うからどうしても遅くなってしまうことは理解できますし、宴会はメンバーが限定的なので排他的なのも納得します。しかし高い必要はあるのでしょうか?そもそも立ち食いそばなどがなぜ立ち食い形式を取り入れているかといいますと、面積あたりの収益率を高めるためです。平易に言い換えますと狭い土地で儲かるためです。土地代などの費用を抑えることで提供するそばの値段を下げ、客に座らせないことでお店の回転率を上げ、収益をあげていく。薄利多売方式を取るためなわけです。この方針をとったことで「俺の〇〇」や「いきなり!ステーキ」が大成功を収めたわけですね。立ち食い宴会の話に戻りましょう。立ち食い宴会は大体高いです。食事も対して量があるわけでもなければ飲み物も普通に飲み放題と変わらない量と速さで、質がちょっといいだけで意味も分からないくらい客単価が高くなることが多いです。ランチで5000円かかっても人は平気でポンと5000円出します。スタバに行く女子高生がペチーノにポンと1000円くらい出すのと同じくらい狂っていると思います。立ち食い宴会を運営している方々は今すぐに価格設定を見直していただきたいと思っております。

1ユーザーとしての違和感

全然ご飯も食べられずビュッフェの方をちらちら見ながら適当でつまらない話をそこらへんの連中と交わし、話の輪から外れないようになんとか自分のポジションを死守しようとショルダータックルを適宜決めながら、なんとか立食パーティーが似合うような立ち振る舞いをしてみる。こんな地獄絵図ありますか?ぼくのまわりの人で誰一人として「立食パーティー楽しいよね!」って言った人はいません。大体みんな「ご飯が食べられない」「足が痛い」「輪に入るために必死」「立ち話だとどうしても話の内容が薄くなる」「最近切れ痔になった」などと立ち食い宴会に対する不平・不満しか垂らしません。立ち食い宴会は制度としての不自然さだけでなく、実際に立ち食い宴会をするユーザーの満足度も低めです。それでも集まりが立ち食い形式で開催されるのであれば参加者は立ち食い宴会に参加したくなくても参加せざるを得ません。これがお前らの、やり方かぁぁぁあ!!と思わずニッチェが憑依してしまうほどのフラストレーションです。

下品な立食パーティーに未来はあるか

ではなぜ今も立ち食い宴会方式はサービスとして存続しているのでしょうか?ぼくなりに考えてみた結果、1つの仮説を立てることができました。 それは座るとたくさんの人と交流できないということです。席替えのタイミングって誰が決めるんだろう?あの人と話したいのになんかブスが隣にずっと座ってやがるー!って思ったこと、ありますよね。座った状態での宴会だとなかなか話す人が限られてしまうのが現実です。そのため、初対面の人々が集まり親睦を深める懇親会等では座る形式の飲食店は好まれません。クラスで鼻くそを食べるやつくらい好まれません。となると、結局立ち食い形式の宴会が丸いよね、となります。そう考えると大人数での懇親会の場所のナッシュ均衡は立ち食い宴会となってしまうのは致し方ないのかもしれません。ただし、やはり立ち食い、食べ歩きしているという観点で見ると上品なイメージがついているのはおかしいので、座りながら飲食もおしゃべりも楽しめるために着座型のセグウェイを導入したパーティーとかで上品な懇親会の居場所を確保してあげられそうですね。まぁそんな気持ち悪いパーティーにもあまり行きたいとは思いませんが…。

残業を悪く言うな、本当は好きなんだろ?

はじめに

ぼくも日本人なのでこういうことは書きたくないのですが日本人には残業を好むDNAが深く刻み込まれていると確信しています。根拠はまわりの人間です。「ブラック企業」や「働き方改革」など残業を批判する言葉が昨今世間で広く使われています。ぼく自身も日本のサラリーマンってやばいな、って思うことは多々あります。例えば必ず席に座れると分かっている終点駅で電車を待っている最前列の男性2人、電車が来たときに何をし出すかと思いきやドアがまだ開いてもいないのに肩で互いにタックルし合うのです。ラグビーの練習かな?とヘラヘラ見ていたらなんと取っ組み合いにまで発展します。大変な状況に気付き駅員さんが駆け寄り喧嘩を仲裁します。このサラリーマンの方々のおかげでぼくはありがたく席に座ることができました、ラッキー。こんなことが起こるのは普通あり得ません。常識的に考えられないことです。しかし常識的な人間をこうも狂わせるのは日本の一般的な働き方に基づくストレスでしょう。そのストレスの多くは残業からくるのではないでしょうか?「昨日23時まで会社に残っていたよ」とか「結局家帰ったの日をまたいでからだった」とかをよく耳にしますね。でもこれ、一見嫌がっているように見えて実はみんな残業することが好きなのでは?というのがぼくの仮説です。こう思った経緯を今回は記していこうと思います。

無給インターンで残業する学生

就活をしていると業界や企業のことを知ることができる以上に、普段交流しないような学生たちと話す機会があることが貴重な経験になったりします。他大学の学生と話すと大学では受けないようなインスピレーションを受けることが多々あります。例えば陸の王者慶應ボーイたちの人生イージー舐めプモードを目の当たりにすると自分の悩みが小さいものだと気づかされて吹っ切れることがあったりします。美大生と話すと普段ぼくたちが何気なく使っている「ファッション」という言葉や「ポーズ」という言葉の本当の使い方を教えてくれたりして、少し世の中を見る角度が変わったりします。そんな中で大学を問わず半分以上の学生に当てはまる共通項があることに気がつきました。それは就業時間外でグループワークをやりたがることです。飲みに行きたい、遊びに行きたい、もう少しみんなで話して仲良くなりたい。こういった願望はあって然るべきだと思いますし、理解できます。しかし、無給のインターンシップで時間外の作業をやりたがるやつは一体頭の中に何が咲いているのでしょうか?朝同じグループの人たちと顔を合わせて挨拶するやいなや「いやー日付が変わる前には帰りたいね!」なんて意気揚々と言うやつがゴロゴロといます。今日原宿でスカウトされちゃった、くらいのテンションで言ってきます。もう一度確認しますが、こいつらは頭の中が湧いているに違いませんよね?しかも冗談で言っているかと思いきや本当にみんな時間外作業をする前提で話を進めるしもっと怖いのは隣の班に至ってはファミレスでみんなで徹夜したなどとのたまうのです。ほんこわってやつです。ぼくは本選考でもない無給のインターンで残業をする意味が正直これっぽっちもわからないので毎回グループのメンバーにはその旨を伝えていますし、幸いなことに今までグループメンバーには理解をしてもらえてきました。自分なりにこの摩訶不思議な現象を分析した結果、日本人は就職する前から残業をしたがる傾向がある、と考察しました。はっきり言ってお金も出なければ成果にも繋がらないような残業を無給インターン生がするインセンティブはどこにもありません。だとしたらもうそれは先天的に残業をしたがるDNAを日本人が持っていると考えるしかありません。しかも何が違和感を増幅させているかと言いますと、残業する前提で話が進むため、ワークの生産性が本当に低い。時間はいつまでもあるものだと思って作業をする人があまりにも多すぎるため、就業時間中の密度が薄かったりします。本末転倒とはまさにこういうことなのでしょう。

残業が偉いとされる文化

社員がまったく残業せず、就業時間が終わると面白いように全員すぐ帰路につくような企業があります。その企業の社員の方とお話をする機会があり、なんで残業ってなくならないんですかね?と聞いてみたことがあります。その人いわく大きい原因になっているのは残業をしている人が偉いとされる文化が未だに根強く残っているからだそうです。その正確性についてはぼくは分かりかねる部分もありますが、たしかにそういう性質は多くの日系企業であるだろうなと思います。上司が残業をしている横を颯爽と帰る部下、自分の仕事が終わらずに残業している同僚の横を通り帰宅する。たしかにぼくも自分に置き換えるとなかなか帰りづらいだろうなとは思います。でも視点を変えてみると、残業せざるを得ない状況は2つしかパターンはないのです。1つ目は仕事量が多すぎることです。納期の関係や顧客の関係である期間仕事量が急増し残業することを余儀なくされることはあります。2つ目のパターンはその人が単純に仕事ができないことです。先ほどのインターンの例でも挙げたように、仕事ができない人というのは口から血尿が出てしまうくらい効率が悪いです。え、なんでそれ今やる?とかそのデータ調べるのにそんな時間かかる?などの疑問が度々ワーク中に湧き上がってくることがありました。そういう人は効率が悪いため、設定された時間の間に適量の仕事を終わらせることができないのは当然で、残業する羽目になります。1パターン目の仕事量が多すぎることに関しては個人ではどうしようもないため組織的な改善が必要です。しかし大きな問題が介在しているのは2パターン目を擁護する文化の方です。仕事効率が悪く残業している人に「あの人は偉い」という賞賛を送るのは甚だふざけた話です。ぼくがもし一労働者として残業時間が多かったら、普通に恥ずかしく思うと思います。だって、2パターン目であれば自分から仕事ができないやつですって言っているようなものですもん。アメリカの働き方が良いと一面的に言うつもりはまったくございませんが、残業している人が偉いとされる文化から残業している人は恥ずかしいとされる文化へ少しずつ移行できないものかと頭を悩ませております。まぁ、ぼくみたいなアホ大学生が何かできるわけではないのですが。

残業手当という悪しき制度

以前先輩にこんなことを聞きました。「社会人になったらやっぱり稼ぎは学生と比にならないですか?」と。それに対する先輩の答えが「まだ残業していないからそうでもないよ。」と。その先輩が言うには残業手当があるからこそ社会人の稼ぎはいいのだそうです。これに関してもやはり違和感を感じざるを得ません。もちろん顧客の急な要望に応えるために残業したり、社内体制の急変に対応するために残業することは致し方ないことなので手当が出るのは当然だと納得しています。しかし別に残業をする必要に駆られてもいないくせに稼ぎたいから社内に残ってどうでもいい仕事をだらだらとやってそのくそみたいな仕事に対して会社側もしっかりとお小遣いをあげるこの仕組みは一体どんな意味があるのでしょうか?どうでもいい残業にも手当を出す悪しき制度をやめれば少なくともカネ目当てで会社に残っている人はいなくなります。残業手当がなくなると生活が苦しくなる、という声に対しては2つ案があって、まず1つ目は年間残業代として支給されるであろう手当分をあらかじめ給与に含め、残業手当を廃止することが考えられます。要は残業しようがしなかろうがそれも全部加味した給与体制にするということです。2つ目は残業時間が少なければ少ないほどボーナスが跳ねるという仕組みにすることです。ただただ残業時間が少なければボーナスの額がいいというのは虫のいい話なので従来通りパフォーマンスの評価をベースにして、残業時間の少なさをそこに上乗せ報酬として乗せる方針がいいと思います。こうすることでボーナス残業手当をなくしても仕事の質も労働者がもらえるお給料も下げることなく残業時間を減らすことができるのではないでしょうか?

残業したいのであれば残業自慢はやめてくれ

残業が大好物な人もいるこの世の中で別に残業を真っ向から全面否定するつもりはありません。ただ、僭越ながらひとこと申し上げさせてもらうとすれば、残業自慢をしないでくれ、ということです。残業したことをアピールされてもぼくだったらこの人仕事できないのかなぁって思ったり悲劇のヒロイン気取りなのかなぁと思ったりしてしまうので、ちょっとイタい人だと思ってしまいます。もし残業好きな性格の人が同じように残業自慢していたら余計イタいです。ゲーム好きな人が「いやぁ参っちゃったよ、昨日朝の3時までゲームしちゃってさ、というか昨日じゃなくてもはや今日の朝か!」って言っているのを聞かされているようなものです。あー、いたたたた。もう本当にやめて欲しい。なので、残業したい方はご自由にどうぞ。とにかく残業をして肩幅効かせないでください。社会人になって残業せざるを得ないときがきたらこの偏った見方は変わるかもしれませんが、とりあえず今は残業文化に対しては斜に構えていようと思います。

おっさん文化が流行る時代を生きたい

はじめに

流行って面白いですよね。なんかよくわからないうちによくわからないものが世の中を席巻していく。挙げ句の果てには流行に乗り遅れた者は時代遅れと揶揄されます。そんなこと言い始めたらインフルエンザのシーズンはインフルエンザにかからなかった人は全員時代遅れだろって思ってしまうのですがそれはまた別の機会にでもと思います。さて、流行といえば思い浮かぶ年代層はどんな層でしょう?おそらく100人に聞いたら100人が若者というでしょう。これって不思議だと思いませんか?流行の最先端になぜいつも若者がいるのでしょう?おっさんではダメですか?2位ではダメなんですか?我が家でも流行の歌や時の人のことをぼくが知らないと母親は勝ち誇った顔をします。なんか無性にあの顔は腹が立ちます。要は、流行は若者文化の権化と言っても過言ではないということです。そんな流行をおっさんから発信できないものか、おっさん文化を流行らせることはできないのかと思い本記事に思いのまま書き連ねたいと思います。

流行とは

流行とはそもそも何なのか、デジタル大辞泉で意味を調べてみました。

世間に広く行われ、用いられること。服装・言葉・思想など、ある様式や風俗が一時的にもてはやされ、世間に広まること。はやり。

なるほど、特に調べた意味はありませんでしたね。なんか犬ってそもそも何?って調べたときに「イヌ科の動物。犬。Dog。」並みのがっかり感です。それでもひとつわかったのは流行は別に若者発信である必要がないということです。これはデカい。もしこれで若者が中心となる、とか仮に書いてあったらここで記事終わりです。自分の言葉でわかりやすくまとめ直すと一斉を風靡した現象や事柄ということで解釈して良さそうです。これはおっさんずスタイルを流行らせる目的地に一歩近づきました。

なぜ流行は若者発信なのか

これもネット世代と呼ばれるぼくはまず、Google先生Wikipedia教授に聞いてみました。そうすると「ウセロ、ツブスゾ」と言われてしまったので仕方なく自分で仮説をたててその仮説の正しさを自分なりに検証したいと思います。流行が若者から発信される理由は大きく分けて3つあるという風に考えました。

中高生はこどもの延長線

まず第一に考えたのは中高生はあくまでもわかりやすくて面白いものに飛びつきやすい性質があるということです。これは当然のことで、幼少期になんでも気になっていた好奇心やクレヨンしんちゃんなどのわかりやすく面白いものを愛でる性質がまだ抜けきっていないと考えられます。もちろんこの性質は大人になっても忘れたくないもので、世の中の政治とか経済とか科学技術とかのニュースだけを面白いと感じる方は一度童心に帰るために赤ちゃん言葉で話す癖をつけてみてもいいかもしれません。「部長!このちりょう(資料)まとめてきまちたのでみてくだちゃい。」みたいに。童心に帰ることを引き換えにおそらくその会社の名簿からあなたの名前は消えているかと思いますが、背に腹はかえられぬというやつです。中高生がこうした性質を持っている理由は学校の勉強にあると思います。世の中の仕組みなどのInterestingなことは勉強と似ているため敬遠しがちです。一方のラッスンゴレライやにゃんこスターなどはFunnyなため学校の勉強から遠いところにある中高生にとってのエデンのような存在となるのです。よって万人受けするFunnyなものにいち早く飛びつくのが中高生であると言っていいのではないでしょうか。

学校という閉鎖的なコミュニティ

学校は本当に狭いコミュニティです。これは大学も然りですが、中学校や高校とはやはりレベル感が違います。ぼくの例でいえば中学校と高校の同学年の子で顔と名前が一致しない子は一人もいないくらいでした。そんな閉鎖的な学校生活を毎日送っていると話すこともなくなります。学校での遊びもなくなります。そこで活躍するのが面白い芸人の真似しやすい一発芸です。特にこの遊びは男子の間で顕著でしょうか。男はバカな生き物なのでバカになっているときが一番楽しいのです。女子中高生であれば自分たちがいかに可愛いか、リア充しているかを発信したい欲が性欲モンスター並みに強いので、TikTokInstagramが流行るわけです。本当にあんな動画やら自撮りやらあげて何が面白いんだと思いながら毎日欠かさず2時間ずつ見ています、お世話になっております。以上から①手軽に②その場限りの③面白い遊びを中高生は欲していることから彼らは流行の最先端を走る続けるのではないでしょうか。

中高生は意外と暇

中高生は本当に暇です。いやいやそんなことないぞと思う中高生はこれから先の人生を甘く見ない方がいいぞ。覚悟しておけ。中高生が1日にどれくらい暇な時間があるか考えてみましょう。朝起きて急いで家を出ます。電車通学だとすれば学校までの30分は大体の中高生はスマホをいじっているでしょう。英単語とかやっているやつはおそらく日本に3人くらいしかいません。学校に着いてからは休み時間10分×6回+昼休み60分の2時間は確実に暇です。この暇な時間を使ってほとんどの中高生は談笑をして各自が仕入れてきた情報を共有し合うでしょう。休み時間中に読書をしたり勉強をしたりするようなやつはおそらく全国でせいぜい6人くらいです。部活が終わり帰りの道もスマホをいじるか友人とTikTokerについて語らい合う時間です。家に着いてからというもののお風呂やご飯を食べるまでもだらだらとテレビを舐め回すように見たりスマホを前戯のように弄り倒します。帰宅してから勉強するような子は日本全国で2~5人といったところでしょうか。そしてあの中高生とかいう生き物は寝る前も穴を開けるほどスマホをガン見します。ぼくの友人は一度高校生のときに本当にスマホを見すぎてスマホに穴を開けました。こうして中高生の平凡な1日を見てみるとマス広告の餌食になっていると言えます。テレビやスマホを通して大量に情報を吸収するスポンジのような存在ですね。これが外銀やコンサルに勤めている社会人だったらこんなに暇な時間を1日の間に取れるでしょうか?まずこんなにエンタメとしてスマホを使う時間がないですし、テレビなどもってのほかです。こうして比較すると、流行を作り上げるのに必要なのは様々などうでもいい情報を取り入れるための時間であることが言えると思います。

流行の中心に中高年を

以上からなぜ中高生が流行の中心にいるかがわかってきたのではないでしょうか?それでは中高生から中高年へと流行の中心をシフトすることはできないだろうか。個人的に、流行りの中心を中高年にすることは意外と簡単だと思っています。それは「大人がわかりやすく面白いことをしている」のを「若者が嗅ぎ当てられるようにうまく導線を配置すること」です。例えば会社の宴会風景や一発ギャグ大会の様子、あるいは音楽などの個人の趣味から考えた面白いことを発信できるようなSNSがあればそれが話題性を呼び、中高生の目に触れるようになるのではないかと考えています。飲み会のゲームとかでもいいと思います。こうしたSNSなどを通じ小さなムーブメント、うずきのようなものが社会人の間で形成されれば一気に各年齢層に拡散し流行を巻き起こすことができるのではないでしょうか?こうして思い立ったぼくはそんな夢に溢れるサービスを開発しようと思って起業しようと思い立った瞬間気付きました。これ、Youtubeやん。この記事を必死こいて書いたのはなんのためだったのだろう…。

はてなブログを開設した経緯

はじめに

大学生活も折り返し地点をとうに過ぎ、何故か無性にはてなブログを始めたくなりました。始めてからなんでこのタイミングで誰にも読まれないようなブログをわざわざ書き始めたのだろうとよく考えてみました。結論からいうとぶっちゃけ特に理由はない、というのが正直なところですが、それだともうこの記事は終わってしまうのでなんとなくこういう理由で始めたのだろうな、と今朝用を足しながら思ったことをつらつらと記していこうと思います。

書くことを好きになって上手になりたい

ぼくは書くことが苦手です。少なくとも人に何かを伝えることがものすごく苦手です。おまけに別に文章を書くことは好きではありません。つまりぼくは書くことが苦手で嫌いです。なのにぼくは文章をつらつら書くだけのブログを始めました。これは一見するとクレイジーです。数学ができないし嫌いなど文系が理学部の数学科に入るくらいクレイジーだと思います。ただ、ぼくはどうしても数学がやりたい、微分とか積分とか自在にできるようになりたい。なんならテイラー展開やら相対性理論やらも理解して福山雅治さんみたいに黒板に数式を無限に書き連ねたい。そう、ぼくは数学者になりたいのです。何を言いたいかと言いますと文章を書くことに対する苦手意識と嫌い意識を克服したいと思っているということです。何故書くことを好きで得意になりたいかというと、文豪という響きに憧れたからです。もちろんこの歳になって書くことが苦手なぼくみたいなやつが文豪と呼ばれる日がないことはわかっています。皆まで言うな。それでも今より文章を書くことが上手になってかつ好きになれば、自己満足的に自分のことを平成最後の文豪と呼んであげられるようになるのではないかと思っています。今は到底文豪と自分を呼べるような腕はありません。いつの日か知人や誰かも知らない赤の他人に「シュラッターの文章面白いね」と言ってもらえるような日が来ればその日がぼくが文豪になる日です。そんな日を夢見て今日も苦手で嫌いなゴーヤを食べます。

文章を通して人をクスッとさせたい

オスという性で生まれたからには異性に魅力的に思われたいと考えるのはごく自然なことです。身長の高さ、年収の高さ、顔の良さ、学歴の高さ、運動神経の良さ、優しさ、1人のオスを構成する要素を総合してその人のスペックと呼ばれるものが決まります。これは受容する側の異性によってどの要素を重視するかは変わってきます。残念ながらシュラッターというオスは先ほど挙げた要素のうち誇れる要素はありません。遺伝子による要素も多々あり、なかなか先天的なものは変えるのは難しいです。決して親をdisっている訳ではありません。親、鬼感謝、アーメン。それでもなんとか勝ち筋を見出したいと思ったぼくは面白さ軸があるということを知りました。小さい頃から自分の言動で他の人が笑うことにエクスタシーを感じてきたぼくは面白さを磨いていけば自分なりに社会に対して価値を提供できるのではないか、そう思った日にお笑い芸人を目指しました。高校生のときです。このときぼくは芸人という夢に向けての第一歩として学校の新歓イベントで漫才をやりました。もちろん台本は自分で考えて当時の相方と練習しました。これがなんと大ウケ。気持ちいいーーー、と感じたぼくは間違いなくこの道だ、と確信し、学校のイベントがあるごとに漫才を披露するようになりました。しかし現実はそう甘くなく、お笑い芸人になる夢は諦めざるを得ませんでした。理由はただひとつ、リアクション芸がびっくりするくらいできませんでした。これに関してはもう頑張れとかそういう次元ではありません。たった1文字、「無理」という言葉で言い表せます。そこでリアクションを取らずに人を笑わせることができないものかと考えたときに文章に行き着いた訳です。ここまで行き着くのに本当に長かった、ヴァスコ・ダ・ガマの気持ちが痛いほどわかるくらいに。そうして今現在、不特定多数の異性をクスッとさせるためにブログを書いています。男性は今すぐ回れ右してください、よろしくお願いします。

言論の自由を最大限に生かしたい

普段みなさんは自由に喋っていますか?忖度する毎日を過ごしてはいませんか?ぼくは忖度が人生の9割を占めています。残り1割はうんこをしたいという気持ちで埋まっています。言論の自由が保障されているという素晴らしい憲法が日本にはあるのに現実ではそれがほとんど実現できていないことに激しい違和感を感じています。お前の問題だろうがと思うかもしれませんが、その通りです。なので、せめて誰に咎められようがお構いなしに自分が日頃現実世界で言いたいことをネットという仮想空間でぶちまけてやろうじゃないかと思った次第です。ですので、ぼくはこのブログでは誰にも届かない小さな声でピーピー好き勝手に言わせてもらう予定です。ふんどし履きたい、とか女性って素晴らしい生き物だ、とかワキガの人はまわりが気づかせてあげて治してあげろ、とかそういう記事をこれから書いていきたいと思っています。言論の自由に守られながら、ピーピーと小言を発して気持ちよくなりたいです。

思いのままにサイトを作りたい

何かの専門性を追求すると一般人の見方がわからなくなり、正しく専門性を追求できているかわからなくなる、というジレンマがあります。例えば広告マンであればCMを見るときには制作側の視点で自然と見る癖がついてしまい、普通の生活者としての視点を見失いがちです。あるいはエンジニアであればどんなサービスもソースコードを見たがり、サービスそのものの魅力を1生活者の視点から見ることはほぼ不可能になる訳です。この現象をぼくは勝手に1人エッチのジレンマと呼びます。以前ぼくは長期インターンでウェブマーケティングを学び、マーケティングに以後も関わるような生活を送ってきました。この生活を続けると、やりたいことではなく、求められていることから行動をする癖がついてしまいます。これはイケないことです。初めて鬼ごっこ、あるいはドッジボールをしたときはあまりにも楽しすぎて日が沈んでも気づかなかったという経験は誰にでもあるかと思います。鬼ごっこやドッジボールを突き詰めていくといつしか戦略や作戦を追求するようになり、勝つことに固執するようになります。まさにこの状態が1人エッチのジレンマです。そこには純粋な楽しさというものは存在せず、性欲ドリブンな行為になってしまっているのです。そこで一度ぼくは立ち止まります。もう一度あの純粋にエッチを楽しむ心を取り戻したい、という思いから考えていることをありのまま書き連ねられるブログを開設することにしました。そこにたとえ需要がなくとも供給し続けます。それこそ文章を自己満足で書いているという意味では1人エッチじゃないか!ともっともな反論をする人もいるかと思いますが、それは断じて違います。なぜならこれはぼくとことばとの聖なる空間だからです。このブログはぼくとことばとの間には誰も入って来れない、とてもスケベな空間なのです。こうしてぼくはこれから先もこのブログではことばといちゃいちゃしていこうと思っています。

シュラッター年表

はじめに

前回の記事では本ブログの簡単な説明と簡単なプロフィールを書きました。前回の記事は死ぬほど面白くないので、今回はないセンスを絞って面白おかしくシュラッターという人物の過去を振り返っていきたいと思います。

年表

乳幼児期

関西で生まれ落ちました。母親から生まれ落ちたと記憶しています。これは本当の話ですが、母親はある夜ふと目が覚めて便意を催したためうんこをしようと思い便器に座ったところ便意ではなく産意であったことに気づき急いでぼくの父親を叩き起こし病院でぼくを産み落としたそうです。そうです、私がうんこマンです。そんなギリギリ便所を回避したシュラッターは父親、母親、一足先に生まれた兄に引き連れられ元々拠点としていた関東へと戻りました。そこでの生活はほとんど記憶していませんが、幸せな家庭に生まれたという風に聞いています。よく当たると噂の占い師から聞いたので間違いありません。とにかくよくおっぱいを飲みよく泣きよく寝る子だったそうです。こうして振り返ると今もそれほど変わっていないようです。唯一変わったのはあまりおっぱいを飲んでいないところです。そうして大きく生意気でわがままに育ったシュラッターは幼稚園のときに親の仕事の都合で渡米します。American Dreamが始まります。ちなみにこのときが人生で1番のモテ期だったため弱冠6歳にして人生の運の半分を使い尽くしました。

児童期

アメリカに渡って小学校生活が始まります。おっと失礼、Elementary School生活が始まります。小学校は現地の小学校に通うことになり、目が青い連中に囲まれピーチクパーチク訳のわからない言葉で話しかけられ、こいつら全員ラリってるのか、と心の中で新しい環境を受け入れるようにしました。そうは言っても英語という言語を身につけなくては尿意も満たせなければトランプ政権の今後についても議論できないのでぼくみたいに英語が不自由な子数人とおっぱいがとにかく大きい先生とで週に何回か英語の基礎から学ぶ取り出しクラスのようなものに入れてもらえました。通常のクラスと取り出しクラスを行き来する生活を2年くらい経た後、ぱいぱいでかみ先生とはお別れし、Americanの子どもたちとなんら変わらない境遇で学校生活を送るようになりました。ホットドッグを食べたり昼休みにタッチフットをしたり、夜はサッカーの習い事に行ったりとまさにAmerican Dreamと呼べるような生活がそこにはありました。この頃から少し記憶があって、特に印象に残っているのはシャチについてのレポートを小2で書き上げたこととエジプトのミイラについてのレポートを小4で書き上げたことです。シャチとミイラに関してぼくの右に出る輩はいませんのでご安心ください。

少年期

小学校高学年に入り自分が少年だな、と自覚し始めた頃が少年期です。ませるのが早いアメリカ人はこの頃から付き合ったりチューしたりデートをしたりします。そんな楽しいアメリカ生活を前にぼくはというとひたすらサッカーボールを蹴り木刀を振り回していました。よくわからない武道みたいな何かにハマりサッカーとよくわからない刀を振り回す武道漬けの毎日でした。この頃からなんとなく自分は運動神経も頭もいい方なのかなと自分のことをまわりと比べて評価するようになり始めました。思い上がっているなこの小僧と思うかもしれませんが、今でも思い上がっているのでなかなか人格を変えるのは難しいなと感じている次第でございます。

思春期

そんなシュラッター少年が大人の階段を上ったのは小5のときです。好きな子ができたというやつです。正確にはずっと思いを寄せていたけど話す機会がほとんどなく、好きという思いにまでは成長していなかった思いが開花したという感じです。接近のきっかけは好きなEmmaちゃんがぼくと同じサッカー組織の女子チームに入り、練習場所や試合場所でよく会うようになったことです。Emmaちゃんと会うのはサッカーのみならずハロウィンなど季節のイベントから普段の遊びにまで及ぶようになり、両思い的な可愛い展開になりました。あとはもうぼくが告白するだけだ、というタイミングで悲劇が起こります。祖父が逝きます。これにより家族はアメリカの小学校を卒業する3ヶ月前の春先に緊急帰国を決行することとなり、自分の思いを伝えられないまま日本に本帰国することになりました。こんなタイミングで逝くなよ、おじいちゃん…。そんな甘酸っぱい思いを経験したシュラッター少年はこうして毎年春を迎えると小5の春を思い出すようになりました。思春期ってやつです。小6の頭から日本の小学校に転入したぼくは正直日本の小学校に馴染むのに苦労しました。チームといったつもりティームと言っていたり、スポーツチームのユニフォームを学校に着て行くとゼッケンと呼ばれたり、とにかくカルチャーショックが大きかったです。魚類で例えるならばクロマグロ並みに大きかったです。必死に日本文化に溶け込みながら帰国子女受験とかいうライフハックがあると知ったぼくは中学受験をすることに決めます。とはいえ、思春期の小6などができる勉強はたかが知れているので、適当に勉強をして家から近くてうまくやっていけそうな新設校1校だけを受験し、そこに入学を決めました。サッカー一面取れない学校に入学していたことが落とし穴となり、サッカー部への入部を断念し、コート1面をギリギリ取れるバスケ部に入部しました。中学校では運動神経が良かったり英語が話せたりバカなことをやったりしていた影響でボス猿のような中学生になってしまったと思います。学年の人数も少なかったこともあり、学年ではそこそこ目立つ存在になっていたと思います。もしこれが勘違いだったら切腹しますので中学の知り合いはお声がけください。そんなこともあり、とにかく尖り続けようと、牙を磨いていたのが思春期でした。親にも友人にも背伸びをして見せ、あたかも自分が中心に世界が回っているかのように振舞っていたと思います。いわゆるクソガキってやつですね。そんなぼくはあるとき親を言葉で傷つけてしまったことから、自分はもうガキのままでいてはいけないほど大きくなったのだなと自覚しました。この瞬間のことをぼくは「ガキの使いやあらへんで」と読んでいます。

青年期

中学校3年生になり中学校最高学年としていい気になっていると、義務教育の終わりだという変なむずむず感に追われる生活が始まります。今後ぼくはどういう大人になっていくんだろう、とぼんやり考え始めたのがこの頃で、春ばかりに思いを巡らせている場合ではなくなりました。青年期を迎えます。ちなみに変な意味ではございません。中高一貫だったため、難なくそのまま高校に進学することはできました。一方で都内の小さな私立だったため、ここでいい気になっていてはまずい、という漠然とした不安と向き合うようになりました。それからというものの授業では寝ないようになり、バスケ部の部長も務めるほか、生徒会長にも立候補し学校の顔となるような高校生活を送りました。と、言いたいところですが模範的な優等生とは言えず、外面だけぴっかぴかにした内側がボロボロの高校生でした。TikTokでメイクしてめちゃめちゃ変わる、みたいなやつです。具体的にどんなことをしていたかはあまり公表できませんが、少なくとも学校の教員の半数以上は敵対勢力でした。しかし新設校でまだ合格実績が少なかった我が母校は成績優秀な生徒には少し甘い傾向があり、運良くぼくもその生徒のうちの1人でした。おかげさまで裏で教員に陰口を言われながらも都内の国立難関校に現役で合格し、敵対勢力の教員たちとは冷戦のまま終戦を迎えることができました。もし不合格だったらどうやらぼくの肩を持ってくれていた教員の数人は辞職するつもりだったそうです。ここで人生の残りの半分の運を使い果たします。そんなシュラッターは大学入学し、絶望を味わいます。それは勉強でもスポーツでも面白さでも敵わないやつしか周りにいないということです。完全に自尊心が打ち砕かれ李徴となったぼくはよくわからないまま大学生活をぼんやりと過ごし、友人たちに依存するように仲良くしていた大学の友人たちとしょっちゅう顔を合わせていました。サークルにも入ったものの、ここが自分の居場所じゃないなとなんとなく感じ自然と距離を置くようになり最終的には幽霊部員となりました。ぼんやりと過ごす大学生活にも楽しい思い出は実はあり、八丈島での野宿生活や九州縦断ヒッチハイク旅やおしゃれなカフェバイトなど自分なりに楽しい大学生活を送っていました。ただ大きな誤算が1つあり、自尊心やらチェホンマンやらよりもモテないということにとてつもなく大きなショックを感じました。どれくらいそのショックが大きかったかを商業施設で例えるとCOSTCOかメガドンキくらいです。多分高学歴とされている大学に入学し、服装も顔も最低限は切っていないと自負していたぼくはなんだかんだでモテるのでは?と甘い目論見がありました。しかしいざ蓋を開けてみるとまぁモテない。あらやだ奥さん、そんなにモテなくていいのかしら?ってくらいモテません。そうこうしているうちにモテたい願望は消失し、トチ狂ったぼくは大学2年生で一旦ベンチャー企業の社会人のお話を聞きに行くことにします。理由はただひとつで、ベンチャーっていう横文字がかっこよかったからです。そこで社会人の方となごやかにおしゃべりしてあぁ楽しかった、と思いお別れの雰囲気が漂っていたときに社会人さんが「じゃあ、来週から働きに来れるかな?」「は?」と思いながらも人間とは弱いもので「水曜日からお願いいたします!」と元気にお願いいたしていたのです。なんだかよくわからないままインターン生として会社のウェブマーケティング部に配属されたぼくはそれなりに必死に学んで働きました。朝から夕方まではマーケッターとして、夜からはおしゃれなカフェのバリスタお兄さんとして働きました。お勉強はというと必要最低限しかしておらず今はもっと勉強しておけばよかったと後悔はしているもののどうせその頃に戻っても勉強しないんだろうなと思うのでもう無理です。なんならおっぱい飲んでいた頃に戻りたいです。そんなこんなでインターンも終止符をうち自分でサイトを立ち上げてみたり、大学のサークルではなく学生団体のようなものに入り直してみたりしながら現在も学生生活を送っている次第です。